(72)下大井村(2009.3.9)


 
さあ、いよいよラストスパートだ。残す村は4つ。
 これから向かう小田原市下大井の地、街区公園はない。また、村の鎮守は大井町上大井にある三島神社である。かつて一心同体であったはずの上大井村と下大井村が今では別々の自治体に分断されてしまったということだ。
 とにかくそういうことだから、下大井に目ぼしい神社はない。こいつは困ったと思い小田原市の明細図を穴があくほど眺めたところ、「泉蔵院」という
お寺の脇あたりに“公園”と表示されているではないか。たぶんお寺が管理しているのであろう。とりあえずここを目指すことにする。
 御殿場線上大井駅で降り、南に向けて歩く。これまで何度となく渡ったり畔を歩いたりしてきた酒匂堰を越え、県道小田原松田線を南下。県道が大きく左にカーブをとるところを曲がらずに直進すると、すぐに泉蔵院に着いた。
地図を表示
 ありました、公園。一応お寺の敷地とはフェンスで仕切られているので、まあここで一献やっても罰は当たらないかな。では早速・・・と意気込んだのだが、道向かいで剪定している植木屋のおやじがこっちをジロジロ見ていてどうも入りづらい。仕方ない、公園の裏手に回りこみ、フェンスの上に魔法壜をのっけて“呑んだつもり”。

 次の目的地に向かうべく、国道255号線に出る(この道も何度歩いたことか)。あ、ここにもベンチがあるじゃん。

 ま、勝手に座らないほうがいいと思いますが。いろんな意味で有名なお店ですので。

(73)鬼柳村(2009.3.9)


 次、鬼柳。このあたりを西方に向け歩くと、ちょうど真正面に富士山を見ることができて気持ちがいい。やがて左手に小さな神社が。鬼柳村の鎮守・白山神社




 可愛らしい本殿、境内には遊具。あれ、ここにも箱型ブランコがあるよ。自治体の管理する公園からは根こそぎ撤去された箱型ブランコも、神社を探せばまだまだ残っているようだ。当社にベンチはないから、ブランコに揺られながら一献とするか。悪酔いしそうだが。

 肉眼だと真正面に富士山が見えているんですが、曇り空ゆえ写真ではわかりませんね。
 ところで、鬼柳には街区公園もある。もちろん訪ねてみたのだが、公園というよりはゲートボール広場という趣で、ちゃんとしたベンチは置かれていなかった。あと、こんなベンチも見かけたのだけど、

 まあ、そういうことだそうです。

 酒匂川を渡るのも、いよいよこれが最後だ。報徳橋。

(74)曽比村(2009.3.9)


 報徳橋を渡り切った先の住所は、小田原市栢山。本来なら先に旧栢山村での一献を済ませてしまうところだが、思うところありて、とりあえず通過。あ、その前に小田原百貨店のトイレを拝借しました。
 小田急線栢山駅前の踏切を渡り、すぐ前を流れる小川を越えてY字路を右手に採る。県道怒田開成小田原線、これもまた何度も歩いてきた道だ。このあたりが旧曽比村の南端である。なお、この小川こそが仙了川。ここまでくるとずいぶん流れも細くなっているものだ。
 さて、明治22年の合併が2村のみで行われたことからもわかるとおり、栢山・曽比共にたいへん面積が広い。うち栢山のほうがところどころにお休みスポットがあるからいいのだが、こちら曽比には“公園”はないようなので、神社、公民館、“みどりの広場”のいずれかを選ばねばなるまい。ということで、まずは曽比公民館を訪ねてみた。建物の前には結構広い空き地があるのに、ベンチは置かれていなかった。そのかわり、近くに謎の立て看があったが。

 仙了川に沿ってさらにズンズン進む。県道が川と別れを告げる寸前、右手に“みどりの広場”とおぼしきものがあった。一応木のベンチも置かれているようだが広場内の管理悪く、あまりにも殺風景だ。旅も終わりに近付いているといのに、こんな場所で一献というのはあまりにもうらぶれモードだ。よって、パス。
 県道をさらに北上することおよそ300メートル、村の鎮守・曽比八幡神社にたどり着いた。境内にベンチあり。やれやれ。
 それにしても、だ。この神社があるのがもう本当に村の北はずれ。あと50メートル北に足を踏み出せばそこは、開成町である。まったくもう、村の端から端まで歩かされたということで、とんだ罰ゲームであった。
 しかし、この神社はなかなかよい。境内に鎮座する石仏・石塔がとても味わい深い。



 ということで、疲れ果てたところで最後の魔法壜酒。

 もうここまで来たら栢山駅まで戻るよりそのまま北上して開成駅まで歩く方が近い。開成から小田急乗って帰りました。
 さて、小田原市内一村一献の旅も、次回がいよいよ最終回。最後ということで慰労会でも開きたいと思います。もちろん独りで(グスン)。




前のページ目次に戻る次のページ

inserted by FC2 system