(4)小田原駅 万年町(2009.1.17)

 新玉町の一献スポット・新宿公民館の目の前、国道1号に架かる歩道橋を渡る。ちょっと海側に入れば、もうそこは旧万年町内である。しかしその前に、(私的には)たいへんな物件を見つけてしまった。民家の敷地内のものは極力写し込まないよう努めているのだが今回ばかりは失礼して。

 時代物の、住居表示プレート。なにが懐かしいって、寄贈主と推定される「壽屋百貨店」である。もうとうの昔に潰れてしまっているが、「10ヵ月プラン」のコピーが示すとおり、丸井なんかと同業態の百貨店であったはずだ。なぜ壽屋の名をよく憶えているかというと、私事で恐縮だが亡くなった母が妙な部分に昔気質なところがあって、たしか何か高額なものを買おうとしていたのだっけ、「壽屋で買おうか」という話を家族でしていたところ「月賦屋で買うのは嫌」と強硬に反対したのである。まあ考えてみると私もそんな母の血を受け継いでいるからだろうか、クレジットカードで買い物するにしても1回払い以外選択したことがなかったりする。

 懐かし物件の脇を通り抜け突き当たりを右へ、さらにすぐ左折すると古社・北條稲荷に出る。東海道ウォーカーも大抵立ち寄る史跡で「蛙石」が有名であるが、当社の境内に「万年公園」がある。昭和38年版の小田原市明細図に既に「児童公園」として記載されているから、市内でも屈指の歴史を持つ都市公園といえよう。

 ただ、いかんせん狭い。私が訪ねたときも家族連れが遊具でお楽しみ中で、さすがに彼らと向き合っての公園酒もやりづらい。そうそう、ここまでくれば
はすぐそこ、海岸酒といたしましょう。
 西湘BP下のトンネルを潜る。海だ。テトラポットだ。魔法壜酒だ。

 ちなみに、トンネル内にも椅子が並べられていたりする。

 さて、一休みのあとは、再び市街地に戻ることにしよう。




(5)小田原駅 十字町(2009.1.17)


 小田原城下旧5町も残るはひとつ。十字町へ。他の4町に比べて現存の施設名などに名を遺すものは少ないようで、公民館とキリスト教教会くらいのようだ(ただし「緑」同様、住居表示未実施の街区がほんの少し存在する)。
 旧十字町の一献スポットといえば、西海子公園にとどめをさす。最初にブログで紹介して以降、実は何度も訪問している。その度、園内を散策する人とは出会うけれどもゆっくり腰を据えて休憩する人にはお目にかからない。おかげでいつも公園酒を存分に愉しむことができるわけである。今回もお世話になることにした。
 万年町から、旧東海道より1本海側の道を歩く。この沿道界隈は東海道ウォーカーのみならず街並み探検家、川崎長太郎ファン等々さまざまな人が歩き回り、その成果をブログ等で披露している。私としてはネタが被らない画像のみ紹介するにとどめたい。

 小さな神社に供えられていたカップ酒。「鷹正宗 ニュートップテン」でした。


 「かまぼこ横丁」の「早瀬のひもの」店頭ショーウィンドウに飾られていた徳利。杉坂酒造店の銘酒「足柄錦」・・・一応自分でも調べてみたのですが詳細不明。ご存知の方いましたら教えてください。

 千度小路に入り右手に籠清本店(今も売店あり)、その先に鈴廣の旧本店。小田原かまぼこ業界最大の成功者といっていいだろう鈴廣だが、既にここからは撤退。

 「意」の文字の右側のイラストをまじまじと見、車高のあるトラック等が通る際に軒にぶつからないよう注意を促しているのは理解できた。でもこの注意看板、運転手の視線には入らんだろうな。「頭」と「上」の間のゴニョゴニョが何を意味するのかは今もってわからん。
 そんなこんなで、西海子公園に着きました。いつもの通り、静かです。そこで、いつもの通りガーデンセットで一献。

 小田原城下旧5町、これにて踏破完了。いよいよこれから真の「一村一献」となる。




前のページ目次に戻る次のページ

inserted by FC2 system