(59)上町村(2009.2.10)


 
小田原市内の大字について、とりあえず名前だけは全部知っているつもりでいた。ところが、このたびの旅に際して事前調査するまで、上町(かのまち)の名はまったく知らなかったのだ。ここも区域は広いものの幹線道路から離れているため、こういう機会でもなければ訪ねることもなかったろう。
 沼代桜の馬場を後にし、小田原厚木道路に架かる跨道橋を渡り、老人ホーム前の急坂を下る。新幹線の高架が見えてくれば、もう上町の中心集落の入口である。
 事前調査では、当地において一献スポットを探し出すのはかなり困難なようであった。公園なし、大きな神社もなし。あとは
公民館だけが頼みの綱である。
 ベンチは、ない。しかし、家屋には縁側が設えてあった。

 正直、かなり疲れている。ちょっと心苦しくもあるが、こちらの縁側を使わせていただくことにしよう。

 新幹線が、頻繁に行き交う。

 もうかれこれ、半年以上新幹線に乗ってないかも。たまには遠くへ行きたいなぁ。


(60)小船村(2009.2.21)


 このまま新幹線の高架を潜って直進すればやがて県道にたどり着ける。ただ、次の目的地・旧小船村へ行くには線路北側の細道を行くほうが近そうだ。
 このあたり、新幹線は一旦姿を消す(天神山トンネル)。今私が歩いているのはトンネル北側の山裾の道。といっても勾配はほとんどなく、なかなか気持ちよい抜け道だ。
 小船に入った。途中こんなものがあったり。

 なんかいらんもの(たぶん私の腕)が写りこんでしまった。
 もう少し行けば公園があるはずだ。まだできて日が浅いようで私が携帯している昭文社の都市地図(2006年版)には載っていない。不安を感じつつもそれと思しき場所へ向かう。お、あった。結構立派じゃないか。




 永福公園という名前だった。土地改良事業の成果として完成した公園でもあるようで、石標の裏側は事業完成記念碑になっていた。ということで。

(61)中村原村(2009.2.24)


 現在歩き回っている旧橘町の区域は、小田原市にいちばん最後に編入された土地である。私がガキの頃、親に買ってもらった神奈川県地図には橘町がちゃんと記載されていたことを憶えている。
 ところで、旧町域の南部を通過するJR東海道線に、新駅(仮称・湘南橘駅)を誘致しようという動きが地元で起きている。以前から地区内にポスターが貼られていたので承知してはいたが、最近の市議会でも定期的に採り上げられる話題のようである。たしかに当地は国府津・二宮両駅の中間に位置してアクセスは悪い。地元の方たちにとって新駅は大正時代からの悲願であるようだ。しかしですね、一介のビジターの目からしますとですね、あれくらいの規模のマチに(北側に長く延びてはいるが)駅を作るのはちょっとムリがあるんじゃないかと思うわけであります。
 バス通りから分かれる広い道を西に入りしばらく行くと左手に県公社の団地。その道向かいに、中村原第2公園がある。中村原にはほかにもいくつか公園があるが、次に訪ねる地へのアクセスを重視し、ここを選んだ。


 広さは、充分にある。子供用遊具のあるところが広場スペースより一段高いところにあるため、公園酒愛好者としてはお子たちの目を気にせず呑めるかもしれない(いや、上から見下ろされてかえって恥ずかしいか)。あとはまあ、ごく普通の公園ではある。ただ、水飲み場がカエルをかたどっていてちょっと面白い。こんな感じ。




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